いよいよ来週5/28(土)より公開となる『MADE IN YAMATO』。5/28(土)、29(日)はK’s cinemaと横浜シネマリンにて監督たちの舞台挨拶もあります!
諏訪敦彦さん、佐々木敦さん、筒井武文さん、柴幸男さんよりコメントもいただきました。『MADE IN YAMATO』はどんな映画なのか、ぜひご一読ください!
『MADE IN YAMATO』
山本英、冨永昌敬、竹内里紗、宮崎大祐、清原惟
5人の監督が紡ぐ
YAMATOから生まれた5つのストーリー
豊かな自然も特徴的な街並みも産業もない日本のどこにでもある街YAMATO
当たり前の人々の当たり前の暮らしが風景につけた小さな滲みが、今、世界に向けて広がり出す
2021年/ 16:9/ 5.1ch./ 120分
企画:DEEP END PICTURES/製作:大和市イベント観光協会/配給:boid/Voice Of Ghost (C)踊りたい監督たちの会
https://voiceofghost.com/archives/category/made-in-yamato
<コメント>
傷ついた身体がふと感受する空気の速度、日常の空白に侵入する数センチの希望、傍にい
るのにはなればなれになる心、レシートの裏面の小さな空白に発見する自由、右目と左目
の視界の違いほどのささやかな日常の間隙を通り抜けて、5人の監督たちはまったく違う
道筋を辿りながら、YAMATOという小さな場所の出来事を「世界」の感情へと接続してし
まう。それは、まるで映画を再発見する旅のようだ。フィクションが嘘であるとは限らな
い。「MADE IN YAMATO」はあの時、あの場所でしか起きなかった小さな奇跡について
の記録映画なのだ。
諏訪敦彦(映画監督)
大和市には行ったことがない。
今のところ、行く予定もない。
だが、ある意味で、もはや行ったも同然だ。
5通りの映像の大和、いや、YAMATOが乱反射して、俺の脳内に像を結ぶ。
それぞれのある日のある時、YAMATOに居たあいつらと、スクリーンで遭遇する。
パリところどころ、ならぬ、YAMATOところどころ、リリカルにしてハードコアな。
佐々木敦(思考家)
『YAMATOと5つの謎』というような新本格派的な別題も可能なオムニバス『MADE IN YAMATO』だが、大和市という共通点を除けば、その作品テイストの大きな落差に、作品としての統一感に不安すら覚えるのに、個々の一本が他の四本と関係することで、各々の作品の見え方が変わってくるという、ちょっと他で体験した記憶がない稀有な世界が開けていく。それは「謎」の提示のあり方が、作品の方法論と一体化しているからである。映画の語り(=騙り)の構造を示す富永作品と世界認識の基盤を揺るがす宮崎作品が、2本目と4本目という絶妙な位置に置かれて、観客の批評意識を刺激するというか転倒させていく。その間に置かれた長大な竹内作品は、YAMATOがリヴェットのPARISでもあるかのように、とある女性に陰謀の痕跡を追いかけさせる。導入としての山本作品はフリスビーで、結語としての清原作品はバイクで、人と人との束の間の関係を成立させる。川はあるけど、海はないYAMATO。米軍機が飛び、新幹線が通過するYAMATO。果たして、この世界は開かれているのか、閉じられているのか。この獰猛な5本が一本に閉じ込められていることで、生起する時間こそが最大の謎なのかもしれない。
筒井武文(映画監督)
私が生業にしている演劇は「存在」が重要だと思う。そして映画は「行動」が重要だと思う。劇中で登場人物がどんな行動をするのか。選択と行動の結果が映画を形作る。しかし『MADE IN YAMATO』は「存在」に着目した映画だ。5本の作品はそれぞれ、今そこになにが「存在」しているか、に注目している。特に『三月の光』は大和という街がどのように「存在」するか、さらには大和に流れる時間の「存在」をも描こうとしていた。しかし、ささやかながらも登場人物は確実に行動をする(あるいはしない)。「行動」を描く劇映画と「存在」を描く演劇とが混ざり合い、最後には映画として着地する独特の作風が見事だった。
柴幸男(劇作家・演出家・ままごと主宰)